21世紀に、ロシアとアメリカの”コラボ”で生まれ変わったウラルサイドカー

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第二次世界大戦中、当時のソ連によって製造された軍用サイドカーのM-72が、今日のウラルサイドカーの祖先だ。1942年から終戦までの間9,799台が生産されたM-72は、「大祖国戦争」でのソ連の勝利に貢献。終戦後も民間用としてウラルサイドカーは作り続けられ、1953年からは外国への輸出もスタートしていた。

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 もっとも、真の意味で広く世界にウラルサイドカーが輸出されるようになったのは、1990年代の「ペレストロイカ」以降の時期からだ。1992年11月、国営だった生産工場はウラルモト株式会社に改組され、ワシントン州プレストンを拠点とするアメリカでの輸入販売も本格化。「冷戦」が終わったこの時代、ロシア・イルビットのエンジニアたちと、プレストンのウラルサイドカー愛好者でもあるディストリビューターは緊密な協力体制を築き上げた。そして彼らは共に基本設計の古いウラルサイドカーの問題点を洗い出し、その信頼性を向上させる方法を共に考えるようになった。

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 2001年、新たに社のオーナーになったロシア人実業家はアメリカにおける事業の拡大という方針を推し進め、2003年のはじめにアメリカ側の協力者たちとウラルモーターサイクル社をワシントン州レドモンドを設立。ウラルモーターサイクルの誕生は、今日のウラルサイドカーの発展ぶりの契機となった出来事と言えるだろう。

 空冷4ストローク水平対向2気筒という、古典的とも言えるエンジンレイアウトは始祖のM-72以来不変だが、ウラルモーターサイクル設立以後のウラルサイドカーは、ブレンボ製ブレーキ、デンソー製の交流発電機、ケーヒン製のキャブレター/フューエルインジェクションなど西側諸国の優れたサプライヤーのパーツを積極的に導入。またイルビット工場で生産される機関部も、材質や設計のアップデートを絶えることなく継続している。これら新体制下での改善により、21世紀のウラルサイドカーは性能・信頼性ともに、20世紀の時代よりも飛躍的な向上を遂げている。

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2輪車とも4輪車とも違う魅力的な乗り物としての3輪車・・・として、ウラルサイドカーの注目度が世界的に高まっている今、ウラルサイドカーは世界42カ国に輸出され、多くのファンたちに愛用されている。日本では2007年11月にウラル・ジャパンが設立され販売が本格化。2020年現在、全国20店の認定ディーラー・修理店のネットワークを構築している。

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